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フィレンツェくらしと彫金くらし

anima

きのう夕飯のときに

大家さんと話してて。

 

洋彫りのレッスンのこと、先生のリッカルドの話になった。

 

大家さんもリッカルドには会ったことがあるみたいで

彼の喋り方も知ってて、

リッカルドは根っからのフィオレンティーノで

お歳は83歳。

喋りがフィレンツェ訛り。

すごく。

 

なのでわたしには難しい…。

 

でもこの頃は前回よりも少しだけ会話をする。

(だいたい学校一番乗りだから)

 

たまたま学校で見つけた可愛い挿絵のあるピノッキオの本。

どれか挿絵を彫りたいなと思い、リッカルドに選んでもらうことにした。

ピノッキオって本当は結構長く、怖いところもあるお話みたいで

読んだことあるか?と聞かれ

子ども向けの絵本とあとはディズニーの映画って言ったら

それ違うと言われた。

 

(読まなくちゃ)

 

いくつかの挿絵を見て、リッカルド

自分が小さいときに劇場でこの人を演じたんだよと。

へー!リッカルドがーと。

じゃあこの場面を選ぶかなと思ったら違ったところだった。

 

ジョゼッペ爺さんがピノッキオに帽子をかぶせてあげるほんわかな挿絵。

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これは部屋で休みの日に彫ろうと思っていたけれど

彫ってみたくて、たまらなくてきのう花金に彫り出した。

でも細かい影のところとか、二人の表情のところは

リッカルドに聞いてから彫ろう。

 

リッカルドはこのごろ手本を見せてくれるときに

言葉での説明が減ってきてるような感じで。

わたしがじーっと手元をみて、はいやってみてという感じで

それを見ていたイタリア人のマダム(学生)が

「senza parola!?」と「言葉なし⁉︎なの」て何回か言われた。

 

このことを大家さんへ話たら

それとても大切なのではと。

リッカルドとわたしが沈黙でやり取りしてる

それは「anima」でやり取りしてるんだよと。

anima=魂

 

とても嬉しい言葉だった。

 

そうなのか、そうじゃないのかわからないけれど

他の人にそのように言ってもらえて嬉しかった。

 

また言葉で説明するとよりわからなくなることもあるからと言ってた。

確かにそれはあるかもしれない。

細かい説明が必要なこともあるけれど

あまり見ずに耳を傾け過ぎると、大切なところを見逃してしまうことも

あるかもしれない。

イタリア語を話すことがうまくできずに残念なこともあるけれど

いいこともある。

 

まずはリッカルドの手元をよく見よう。